まるセカのにっき

適当に色々書いてました

ミカンの皮の剥き方が変わっている発達障害

たまに言われるんですが、私はミカンの皮の剥き方がおかしいみたいで、

なんかリンゴの皮みたいな剥き方をするんです。

 

これはASDによく見られる、特に意味のない「拘り」みたいなものと思われます。

 

ただ「拘り」と説明されることが多いんですが、当事者からするとちょっと違っていて、この場合、

「リンゴだってこういう剥き方をするんだから、ミカンだってこう剥いて構わない。むしろ片付けやすくて良い」

というような考え方をしており、こういう剥き方以外でミカンの皮を剥くという発想が、そもそも無いんですよね。

この剥き方で何か不都合があり、普通の(四等分して十字に剥くような)剥き方のほうが良い合理的な理由があったら、あっさり変わるかもしれません。

 

ASDはよく分かんない「拘り」を持つと言われます。

しかし他者への説明としては間違っていないとしても、当事者はこれを「拘り」とは認識していないので、

自分は意味のない拘りなど持っていない(故に、自分にはASDの傾向は少ない)という考えに至り、自分がASDであることの把握から遠ざかる可能性があるわけです。

 

別にミカンの皮の剥き方くらいなら良いんですが、これが社会生活に直結する行動だと、一気に面倒なことになるのでした。

 

続く。

 

 

 

ミカンだけに、

オチが見っかんない!